石川県能登町

五十里城址

基本情報

文化財の分類(出典の記載)町指定史跡
指定日(出典の記載)1964-11-03
所在地石川県鳳珠郡能登町五十里子
概要・説明(出典の記載)五十里城址 / 通称「城のつむり」と呼ばれ、町野川右岸の丘陵先端に位置。ほかに、城の北側を「城の腰」、南側には城尾家があり、五十里上之屋(うわんにゃ)周辺には兵士の風呂場があった場所などの伝承が残されている。  頂上部は標高122m、町野川沿いを走る県道からの比高差は53mである。独立した丘で、頂上部は平らな平坦地となり、城の中心部である主郭と推測されている。川を望む南西急斜面を除く3方向には、帯曲輪や腰曲輪と呼ばれる細長い平坦地が二重三重に設けられている。また、主郭へ進入する道の脇には腰曲輪が設けられ、守備が固められている。城址の3方向を取り囲むように所在する上之屋、中之屋集落へ上がるためには急な坂道を上る必要があり、大変堅固な城であったことがうかがえる。  城主についての詳しい記録はないが、天正4年(1576)上杉謙信の能登侵攻に同行した家臣嶋倉孫左衛門泰明が築城し、町野川流域の穀倉地帯を支配する拠点だったという説がある。また、嶋倉は天正5年(1577)11月に、謙信から能登町内のうち鶴町・大箱を領地として与えられているが、城との関係は不明である。  城の立地としては、川とその横を通過する道を見渡すことができる位置に築かれているため、軍事的な目的で築かれたとすると、奥能登の内陸交通を監視する目的で城が置かれたのかもしれない。
出典(提供元)能登町
出典データの更新日2025-11-27
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出典: いしかわオープンデータカタログ 文化財一覧(石川県の県内全域の一覧・金沢市を除く県内18市町の一覧)(2026年8月13日出力・2026年10月31日取得)を加工して作成。ライセンス: いしかわオープンデータカタログ利用規約(CC BY 4.0 と互換)。記載内容に誤りや変更がある場合はお問い合わせください。