石川県能登町
畠山義親公の墓
基本情報
| 文化財の分類(出典の記載) | 町指定史跡 |
|---|---|
| 指定日(出典の記載) | 1980-08-25 |
| 所在地 | 石川県鳳珠郡能登町松波14-84 |
| 概要・説明(出典の記載) | 松波城主松波(畠山)義親を埋葬したとされる墳墓である。 / 高さ約1.5m、径約5.2mの盛土墳である。その頂部に扁平な自然石を置き、その上に宝筐印塔が建てられている。この塔は、基壇・塔身・相輪を失い、笠の上に五輪塔の空・風輪がのせられた変則的な形をしている。塔基礎の高さは36.5㎝、幅31㎝の平面方形で、上端に反花座を刻む。基礎正面の中央に「開基」と大きく刻まれているが、追刻と考えられる。笠は高さ24㎝、幅29㎝、下に二段、上に五段の段を刻み、隅飾突起には縁どりが施されている。基礎の反花座や笠隅飾突起のわずかに外開きの様式などから、室町中期の造立と推定されている。万福寺墓地には、同時代の石造物が点在しており、墳墓の築造時に転用されたものと考えられる。 松波(畠山)義親は、松波城最後の城主といわれる人物。松波城の城主については、能登守護の畠山氏の分家とされてきた。しかし、現在では、元々、松波周辺を勢力圏とした地元生え抜きの有力者である松波氏の居城であり、義親は畠山氏から松波氏へ養子に入った人物と推測されている。 義親の動向については、詳しい史料が無いため不明といわざるを得ない。江戸時代に作成された記録類では、天正5年(1577)に能登へ侵攻した上杉謙信が畠山氏の居城七尾城を攻略。その際に城内から抜け出した義親は、松波城へ籠城した。謙信の部下である長沢筑前(光国)は松波城を包囲し、籠城7日目となる9月25日に落城。義親は戦死し、城内から密かに遺体が運び出され、松波氏の菩提寺とされる万福寺境内に埋葬されたといわれている。 |
| 出典(提供元) | 能登町 |
| 出典データの更新日 | 2025-11-27 |
| 地図 | 地図で位置を確認する(外部サービスへ移動します) |
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出典: いしかわオープンデータカタログ 文化財一覧(石川県の県内全域の一覧・金沢市を除く県内18市町の一覧)(2026年8月13日出力・2026年10月31日取得)を加工して作成。ライセンス: いしかわオープンデータカタログ利用規約(CC BY 4.0 と互換)。記載内容に誤りや変更がある場合はお問い合わせください。