石川県金沢市

畠山義総関係文書

基本情報

文化財の分類(出典の記載)県指定有形文化財
種類(出典の記載)美術工芸品
指定日(出典の記載)2008/4/30
所在地石川県金沢市出羽町3の1 石川県立歴史博物館
概要・説明(出典の記載)畠山義総(1491から1545)は、能登守護畠山氏の第七代当主である。永正12年(1515)に家督を継ぎ、以後、30年の統治で能登畠山氏の安定をもたらした。また、この時代は応仁の乱が起こり、その戦乱を避けた貴族たちが、地方の有力者を頼って下向したことが知られており、畠山氏の元へは冷泉為広・為和父子などが訪れ、能登畠山文化の最盛期でもあった。本史料は、10通の書状から成り、1枚の和紙を横方向に半切れした細長い紙に書かれている。 内訳は、「義総」と書いて花押を記したものが4通、「悳胤(義総が隠居後に名乗った号)」と書いて黒印を捺したものが5通、「景高」と書いて花押を記したものが1通の計10通である。「景高」は、越前朝倉氏の第九代当主朝倉貞景の二男である。これらの書状は三条西家に渡った後、紙背文書として後世に伝来したものである。義総は三条西実隆(1455から1537)との交流を持ち、「源氏物語」の講義を受けたことなどが知られていた。この書状の中にも「逍遥院(実隆の院号)」の源氏物語の講釈のことが述べられ、「弘安源氏論議」「史記」「伊勢物語」などの借用を依頼していることがあり、中央文化の地方への流入・伝播を直接示す史料である。また、義総の書状の9通のうち4通が「義総」と書いて花押を記し、5通が「悳胤」と書いて黒印を捺しており、義総の書跡を探るうえでも貴重な史料である。 この時代は能登畠山文化の最盛期でもあるが、この時期の史料は極めて少なく、写しや記録以外の直接的なものは皆無に等しい状況であり、本史料は、本県の中世史、とりわけ地方文化の実状を描き出す格好の史料であり、有形文化財として指定し、その保存を図ることが必要である。 / https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/komonjyo/ken1-11.html#ken1-11-1
出典(提供元)石川県(有形文化財等)
出典データの更新日2025-11-26
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出典: いしかわオープンデータカタログ 文化財一覧(石川県の県内全域の一覧・金沢市を除く県内18市町の一覧)(2026年8月13日出力・2026年10月31日取得)を加工して作成。ライセンス: いしかわオープンデータカタログ利用規約(CC BY 4.0 と互換)。記載内容に誤りや変更がある場合はお問い合わせください。